日々無味乾燥の感で日暮らしを過ごしながらも、時折わがふるさとの素晴らしさにふと思いをめぐらすものである。そんなうつろいの中で去般七月一八日未明の集中豪雨による福井市及び南越地区の被害甚大のすさまじさ、自然の強大な力にはなすすべもなく翻ろうされた姿は筆舌に尽くしがたい屍であった。それでも山河の美しい日本の国土であり、ふるさとなのである。この死に体に等しい崩壊ヶ所を直視した時、激甚災害の指定を受くべく各市町村の自治体は復元・復旧の第一義的行政の基本姿勢にして欲しい。
それにしても、今回の豪雨による災害は積年の人災である。戦中、戦後の復興復旧の大儀のよる無差別の原始林のブナ、クヌギ等々山林の中で保水できる大樹木の伐採敢行であった。そして来る日も来る日も杉の増培植林であった。結果的に国土保全への禍根を残した。これは、営林行政の汚点とみるべきか、諸説紛紛である。まさしく今後の国土保全の提言である。それにしても、前述の災害地に引替え、わがふるさとは無事無傷であっただけに一層その感を深め地域保全への自戒をもつものである。昔、戦国戦乱の中で武田信玄が甲州流統治として “地を拓き水を治める”が基本理念であった。今日で言う行政手法であった。当地もその類似として日野川の源流に始まり松ヶ鼻頭首工を基点となした治山治水の構築累積は先人から受け継いだプラチナ的財産でもある。今日このふるさと水係に暮らす住民の一人として幸せを自負してはばからず再認識するものである。